自分流、働き方改革

安倍首相も首相に就任して長くなってきた。

周りの議員たちも正当な意見を言えなくなってきたのであろうか。

政治は私達の生活に直接影響をもたらすもので、気になるところである。

民進党の代表も前原さんが選ばれた。

また安倍さんの側近には物申す野田聖子さんがいる。

私達のところにも政治の現実が目にみえるようにしてもらいたいものである。

私達はマクロの数字に踊らされてはならない。

ミクロの世界のデーターは最も大事な数字なのである。

一人一人の民衆の「私自身」の生活が、「私自身の賃金」が
どのように変わっていくのか、そのミクロの変化が一番重要なデーターなのである。

マクロの数字はどのようにも操作できる。

最近は東京オリンピック開催も近くにせまっているせいか、
テレビではスポーツ選手のトーク番組が増えている。

或るプロサッカー選手とのインタビューをテレビでみていた。

その選手は言っていた。その趣旨を述べてみる

どこまで自分が生き残れるかは自分の毎日が闘いである。

他の選手もどんどん技術をあげてきている。

その環境での闘いである。

チームに使ってもらえるかどうかが自分との闘いである。

自分の役割を明確に意識して、できているか。

その役割で、皆にうらやましがられるくらいのプレーができるか。

やってみせることができるか。

どんなにピンチに追い込まれてもそこから攻めていく気迫があるか。

くさったら、サッカー選手として終わりである。

くさっているひまなんかはない
それができなくなったら自分のサッカー人生は終了となる。

私自身も自分の生活を誰かのせいにしているひまはないと思った。

自分がどのように生き残っていけるかは自分次第である。

社会と自分との連携が明確になっていて、その役割が自分で認識できて、
着実に行動として結びついているか、どうか。

すべて自分次第であることを考えた。

社会は「プロ」のヒーローが動かしているのではない。

私達大衆が社会の底辺で大きなうねりを作って、
底辺ではゆっくりとした流れができて社会は動いていることを忘れてはならない。

私達一人一人が重要な社会の主役である。

自分自身の人生はどのような人生であろうと自分自身で決まっていく。

政治の世界での「働き方改革」は自分にとって副次的なものである。

もし、自分自身に不都合な影響を直接受けるような制度ができるのであれば
断固「それぞれの自分自身」が闘う必要があるのではなかろうか。

「なれあい感覚」は社会を衰退させるだけである。

それは、なまけ政治家にとっては、まことに都合の良い国民である。

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