松陰・過激な革命家

これは朝日新聞の見出しである。

朝日新聞(9月10日付)で「文化の扉」という欄で
「吉田松陰」を大きく様々な評価を紹介していた。

私は歴史上の人物論を論じている本又は記事を読むと、
いつも私自身の人生を重ねてみる。

そうすると実に深く歴史に名だたる人物の偉大さが実感できる。

私は社会保険労務士として、どんな組織にも属さない
(当然どこかの組織に形式的に属さないと士業としてなりたたないが、
実質的には属す感覚はない)

人間、自分独自の境地を独自の必死な努力で何かを切り開くには、
一人孤独の世界でいちかばちかの闘いを行い、
自分独自の境地を切り開くしかない。

自分だけしかできない業務をつくりあげていく。

当然世間の評価はない。

このような境地は仲間とつるんで
楽しく仕事をしてできるものではない。

世間からみれば、どんな些細なことでも
自分一人で何かをつくり上げることは
並みの努力で切り開けるものではない。

ところで、吉田松陰は「松下村塾」を開き
社会を変える明治維新を切り開いた弟子たち、

高杉晋作、久坂玄瑞、山形有朋、伊藤博文、
この社会を切り開いた人物は吉田松陰とは
ほんの数か月の短い期間しか教えを受けていない。

しかし、皆、吉田松陰の思想をまっしぐらに行動に移している。

一個の人間として、松陰が激動の時代を奔馬のごとく
生き抜いたことは間違いのない事実である。

迫害を覚悟で、死をおそれず自らの信念を貫き、
そして時代を切り開いていく幾多の人材を残したことも事実である。

安政の大獄により江戸伝馬牢の刑場で
30歳で斬首の処刑をうけている。

野山獄に投じられたのはまだ25歳である。

しかし獄舎でも松陰は落胆するどころか、
彼の信念をますます高みにあげていった。

彼は私利私欲がない、名聞名利の心がない。

日本の将来だけを目的にして生きてきた。

彼は学問はかなりやったようであるが、
本質的には学問は社会から知識を蓄える。

つまり知識は社会の智慧となって初めて知識の本領が発揮される。

彼は30歳にして江戸傳馬町の牢獄屋敷で、刑場の露と消えた。

しかし、彼の心では「生」と「死」との区別はない。

なぜなら、肉体はなくても名前は後世に
「りん」として残ることを確信していた。

また弟子たちが「もみがら」から芽をだすように
自分の後継者として社会をかならず切り開く行動を
してくれることを確信していた。

私自身も社会保険労務士として、
どんな些細なことでもいいので、
自分が社会で何かを切り開いたと自負できる生き方をしたいと
心から祈り一生懸命行動にうつしている。

この行動はどんなささいな事でも「不安」で「孤独」で
「まわりからの侮蔑」がつきものである。

しかし、その先が「天国」なのか「地獄」なのかは見当もつかない。

「地獄」におちたとしても、
「地獄」の仲間たちと楽しく酒を酌み交わし
「地獄」の人生を語って自分の人生を終わろうと思っている。

私は仕事に自信がなくなり、
生きることがいやになることがある。

そのときは、中央線・新宿駅の線路のガード下にある
出店の居酒屋に飲みにいく。

そこは若い時の苦闘の出発なので、
酒を飲んで当時を時々思い出しに行く。

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