社会保険労務士として「プロ」と言われる基準

一般にいわれているトップランナーという人たちの行動、
発している言葉には、一味違う一服の名画をみているように感じる事が多い。

現在のプロ野球の阪神監督の金本監督が現役を引退するときに
インタビューを受けていた。

その時に一言だけ言った言葉が印象的だった。

「この世にこれほど厳しい人生があるとは思わなかった」

それだけも一言であるが、さまざまな思いを感じさせる含蓄のある言葉であった。

パラリンピックのアスリートの練習を取材していたテレビ番組があった。
パラのアスリートの脳の働きを科学者が分析していた。

パラのアスリートは健常者のオリンピック出場者より
何倍もの脳が使われていることが分析されていた。

健常者が通常使わない脳の部分を活発に使っているのである。

やはり人は人が出来ない事をやってみせて
はじめて感動するものだと言うことを実感した。

話はかわるが、
社会保険労務士として「プロ」と言える基準はあるのか。

これは私がなぜか、いつも頭に残っている言葉である。

私が社会保険労務士として合格したときにその予備校に通っていた祝賀会があった。
そのとき、出席していた予備校の創立者の言葉が今も頭に残っている。

社会保険労務士として仕事をするならば「プロ」をめざして仕事をしろ
と言う言葉であった。

そのプロの基準とは何か。

「同じテーマで24時間ぶっ続けよどみなく話すことができるようになったら
プロと言える」と言う言葉であった。

私も「本人訴訟の支援者としての社会的役割」と言うテーマで
1日、午前10時から午後4時半まで講師としてしゃべり
一人で2日間しゃべったことがある。

それでも約10時間である。

24時間しゃべるということは、相当なキャリアと法的知識と、
その場での知恵をだして行動していくというはかしりしれない行動だということが
10数年間、社会保険労務士の仕事をやってはじめて、少しわかってきた。

もちろん、その創立者の言葉が正しいかどうかは別の話である。

私の仕事は個別間の労使紛争処理である。

紛争処理という仕事は会社も社員も、またその間に入る顧問も追い詰められた
緊張した感情でおたがいに話し合うことが多い。

私の失敗談である。
時々「しまった!」と思うことがある。

それは、瞬間的感情で、「売り言葉に買い言葉」みたいな発言をしてしまうことがある。

このような発言をするようでは会社の顧問はつとまらない。

この言葉が決定的な瞬間を作り出すことが多い。
それで紛争の処理は終了して、裁判に発展することがある。

これは人生終生くいを残してしまう事が多い。

紛争の処理を専門とする仕事は、結果をだしてこそ評価される。

結果を出すということはどういうことか。

どのようなことでも、『不安』という状況が自分の心のなかにあったら、
ものごとはうまくいかない。

なにか「不安」があったら、その不安を徹底してあぶりだす、
実像として心に具体的に感じるまで追求する。

『不安』が実像化したら、その問題を解決できる知識、智慧を持ち合わせているか、
自分との戦いになる。

この自分との戦いに勝てなければ、「紛争の処理」などとてもできない。

会社から、「今このような問題をかかえているんですけど・・・」

そのとき問題の内容をじっくり聞く。
話の内容を聴いていても、頭のなかは現実に起きている事実と
法律的枠組みを同時に組み立てていく。

その時の状況は会話にはならない。
相手の相談内容を流れのまま聞いて行く。

ポイントだけは、相手の話をさえぎり確認する。
そして、話を全部聞いてしまったときに、「積極的に取り組める」という
自信と確信がわいてくるか、ここが瞬間的勝負どころである。

争点をさぐりあてたか、これは瞬間的直観で判断する。

そとからは何もみえない。

しかし、自分の「心のなか」はめまぐるしく動いているものがある。
ここで勝負がつく。

あとは道筋どおりにほぼ進んで行く。

「心のなかの動き」で重要なことは紛争の相手を憎んでいるようでは、
およそ紛争に勝てることはない。

誤った道筋しか浮かんでこない。

落とし穴に落ち込むだけである。

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